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おかげさまで30周年 多摩・八王子市の保険薬局

医療みらい創生機構 ベトナム FUTURE TOUR

ツアーに参加して 2017年10月28日~11月2日             サザンスカイタワー店 篠原 明宏

ツアーに参加して 
2017年10月28日~11月2日             
サザンスカイタワー店 篠原 明宏

 

10月28日

北原グループが中心となり世界を舞台に活躍している医療みらい創生機構が企画するFUTURE TOUR。
今回のテーマは「アクション&イノベーション」と題し、初となる海外ツアーでベトナムへ。今春より始動しているベトナムプロジェクトの進展や、ベトナムの医療・介護・ヘルスケア領域の「イマ」の課題や「未来」への可能性を探求するというツアーに齋藤社長、川口社長、大竹常務と共に私、篠原も参加させて頂いた。
今回のツアーは2泊3日と4泊5日のツアーで分かれており、齋藤社長ら3名は2泊3日、私は4泊5日という行程になっている。
渡航前日、川口社長と大竹常務と共に羽田空港のホテルに前泊させて頂いた。
奇しくも昨年、医療みらい創生機構が企画する福岡ツアーに参加する際に根食社長と大竹常務と前泊した同じホテルの同じバーの同じテーブルにて、明日からの渡航のことやハートフルグループの話などをできたのは感慨深いものがあった。


10月29日

齋藤社長と国際ターミナルで合流し、出国手続きへ。

《羽田空港出発ロビーにて》

搭乗前、北原理事長にお会いすると4泊5日は誰が行くのか訪ねられた。

私が行くと答えると、すかさず「死ぬぞ」との回答。
4泊5日のツアーではラオカイ省という地域にあるファーム用地に視察へ行くのだが、そこまでの道程がかなりハードな山道で街灯もない崖道を通っていくとのこと。
以前に北原理事長が視察に行った際はトラックと正面衝突しそうになりながら現場に向かったという。
また再び日本の地を踏める事を祈って飛行機へ。ベトナムまでは約6時間。
ハノイ ノイバイ空港に着くと北原職員が出迎えてくれた。

 《ベトナム ノンバイ空港にて》


我々も含めて約30人近い人がこのツアーに参加していた。
以前のツアー同様、参加者の中にはシステムエンジニアや医療用ベッド会社、市議会議員まで多種多様な職業の方が参加されていた。
移動のバス内で簡単な自己紹介とベトナムの基本的な情報を聞いた。
正式な国名はベトナム社会主義共和国で人口は約9434万人。
国土は約33万k㎡。これは九州を除いた日本とほぼ同じ大きさである。
首都はハノイ。公用語はベトナム語。
様々な民族がおり、キン族が約86% その他に53もの少数民族が存在している。
時差は日本より2時間遅い(日本が朝9時ならベトナムは朝7時)
南北に長い国でハノイは北部の方に位置する。
四季もあり冬は寒く、5℃以下になると学校は休みになる地域もあるようだ。
湿度が高い分、冬は日本より冷え込み、最近では雪も観測されているという。
数年間日本留学経験のある通訳の女性は日本にいるときは一度も風邪をひかなかったが、ベトナムに帰った途端に風邪をひいたという。


約30分で最初の視察場所、日本国際眼科病院に到着した。


《日本国際眼科病院》


この病院は日本のメガネメーカー パリミキが母体となり3年前に開院された。元々は医療資材のないベトナムで服部という医師がボランティアで白内障治療中心に行なっていたところに開院の話しがあり、今に至るという。
こちらの病院ができるまで、富裕層の多くは眼の手術のためシンガポールやタイに行っていたという。ベトナムの財が他国に流出するだけで無く、ベトナム人医師の技術向上の妨げにもなる。
これは北原グループがカンボジアにて行なっているプロジェクトに近いものがあり、医療というものが地産地消であるべきという考えが形になっているものだろう。
病院内にはツアー参加者全員は入れないため、病院見学組と近隣にある観光地鎮国寺参拝組の2グループに分かれた。
私はまず病院の見学となった。
病院は6階建てのビルで1階が受付・薬局・眼鏡ショップ、外来が2階、3階が検査室など診察室、処置室などが階をまたいでしまっている。ワンフロアが狭くどうしても階が別れてしまうため連携が難しくなっているのがこの病院の課題でもあるようだ。この縦長の建物はベトナムでは一般的で、ワンフロアが広いビルは価格がかなり高くなってしまうという。
また発展途上国によくみられる事だが、建築が設計通りに進まないようだ。
壁のデザインなどがなぜか設計通りに作ってもらえず何回もやり直したという。日本ではあり得ない事だがクーラーのスイッチの取り付ける高さが違う。国民性の違いなのだろうか。



《オペ室》

《レーシックの機器》

《診察室》

《エアコンのパネルの高さが違う》

診療価格は現地ベトナム人向けの価格帯となっており、日本の3分の1から5分の1程度。患者の95%がベトナム人という。
ベトナム人の医師が5人、看護師が25人、その他薬剤師、事務員合わせて約50名で構成されている。
最新のレーシックの機材も導入されており、日本と同じサービスを提供できるような体制が整っている。扱っている薬も日本アルコンや参天製薬など日本の製薬メーカーが殆どとのこと。
支払いについてはほとんどが自費診療となっている。
ベトナムにも健康保険制度(皆保険とのことだが全国民の60%程度の加入率)はあるが、利用するには面倒な手順を踏まないといけない。
予め使用する病院を登録しておく必要があり、登録をした病院でないと保険を使うことはできない。
またすぐに国立病院などの大きな病院にかかる事はできず、まず地域の小さなクリニックにかかり、紹介状を持って次は県立等の中堅の病院、また紹介状を書いてもらい始めて大きな国立病院を受診できる。
いくつもの病院を登録はできないため眼科病院を登録する事は殆どなく、この病院が健康保険を使わない自費診療が主流となるのはこのためである。
最近では外資とローカル会社が合弁で民間の保険会社を設立しているが加入は国民の10%にも満たないとの事だった。
30分ほどの見学を終え、次に鎮国寺へ向かった。
鎮国寺はベトナム最古の寺である。国民の大部分が仏教徒であるベトナム人だけでなく、多くの観光客で賑わっていた。

《鎮国寺》


参拝を終え、宿泊先のホテルニッコーハノイへ向かった。
荷物を置き、旧市街の観光予定だったが、我々ハートフル一行はベトドク病院の門前薬局の視察をさせて頂く事になった。
ベトドク病院は救急救命も行なっている大病院のため門前には何件も薬局が乱立している。その中でも人気のある薬局とそうではない薬局があった。
そのうち一軒の薬局に許可をもらい見学させてもらった。
薬剤師と思われるスタッフがカウンターの中におり、その周りに薬が陳列されている。きちんと整理されており思ったより清潔感があった。並んでいる薬剤もワーファリンから睡眠剤まで日本でも馴染みのものが目についた。
朝7時から夜23時までの開局時間にも驚きだ。


《薬局内の様子》


ベトナムでは病人はまず薬局に行き薬剤師に相談をして薬を購入する。治らなければ病院を受診するという流れが一般的とのこと。
処方せんというものはあるがほとんどの薬は処方せんなしで購入できる。
患者の必要数を箱から出して販売しており、共通の薬価というのは無いので薬局により薬の販売価格は異なる。通訳の話だと病院近くは安く、周りに医療機関がない薬局は高めの設定になっているようだ。
収益に関しては日本で言う調剤料・管理料等はなく薬の値段のみ。
流通している薬の多くはフランス、タイ、インド、中国製で粗悪品も多く品質は玉石混交。中国製には不安を感じているベトナム人少なくないという。
一応ベトナムにも製薬会社はあるようだがまだまだ輸入品に頼らざるを得ない状態とのこと。
薬局開設・営業に関しては薬剤師の在籍が必要との事だが、実際に薬剤師が販売を行っているかは怪しい薬局もあるようだ。
ベトナムでは医師も薬剤師も国家試験はなく、大学を卒業すれば資格を得られる。そのため卒業した大学によりかなり知識の差があるようだ。
給与に関して、ベトナムは社会主義国という背景もあり特に医師や学校の先生などは給与を低めに設定されているようで薬剤師の初任給は20000円ほどとの事。その分賄賂も横行しているという話もある。
偽薬や賄賂など様々の問題は隣国のカンボジアでも目の当たりにした。発展途上国では深刻な問題の一つと言えるだろう。


薬局を後にし、ハノイの旧市街を散策していると、ベトナム人男性が路上のあらゆるところで数人集まって雑談をしている。夕暮れ時のこの時間に限った事では無く、日中からこのような光景が広がる。一見、仕事が無いので無駄話をしているようにも見える。しかしベトナムはGDP成長率6%近くあり、多くの人が朝から晩まで仕事をしている日本の成長率が低迷する中この数字は驚異的だ。
この疑問に北原理事長が明快な回答を下さった。
「ベトナム人は必要な仕事だけをやっている。日本では本当は必要のない仕事が多すぎる。」
確かに日本で何かするとなると多くの手続きや資格などが必要な場合が多い。
本当に必要な制度なのか疑問に思うことも少なくない。
特に医療業界は様々な制度があり、利権が絡んだ問題も多い。
「本当に必要な仕事」「本当に必要な医療」というものは何か考えさせられるツアー初日となった。



10月30日

朝食の後、ベトドク病院の視察へ向かった。


《ベトドク病院》


ベトドク病院は首都ハノイ中心部に位置し、外科を中心として1500床の医療省の直属の国立病院である。ベトナム全土に10000近くある病院の中でトップクラスである。
脳疾患からリハビリまであり、2016年はオペ件数 16000件とベトナム内では最多となる。多種多様の手術に対応できる設備があり特に内視鏡手術は国内屈指の技術を持つ。
前述したとおりベトドク病院は最終的に運ばれてくる病院のため基本的に患者は全て受け入れている。しかし外来も入院もパンク状態で廊下に患者が溢れている。
その上、毎日200件近い緊急手術を行っており患者の術後ケアまで手が回らないのが現状だ。
北原グループはリハビリ病棟の一室を使い、リハビリの実演、スタッフトレーニング、またリハビリだけにとどまらず病院経営管理、また後述するが、日本カリキュラムでの教育を行う大学の設立などにも介入している。
そもそもベトナムの医療において「リハビリテーション」という行為に対し教育が不十分であり作業療法士、理学療法士などは数日の講習を受けるだけで資格を得られるという。
日本では患者個々の症例に合わせてリハビリを行うのが当たり前だが、ベトナムでは症例に関係なく温感治療、電気治療、マッサージという一連の流れを事務的に行う場合が多い。セット料金で750円程度。実際には温感治療の効果がほとんどないケースもあるという。
またリハビリ開始時期も遅く、日本では術後、回復のためすぐにリハビリを開始する場合が多いが、ベトナムでは2ヶ月も3ヶ月も後に開始する場合もあり、これでは本来のリハビリの効果が得られない。
こういった意味でも今回北原グループがリハビリ病院への介入する事はとても大きな意味を持つだろう。

《北原グループが介入しているリハビリ室》


薬局の見学も行った。
病院の敷地内に薬局が2つある。一つは入院患者用のいわゆる薬剤部と外来用の門前(門中)薬局だ。外来用の薬局は人で溢れており、薬剤師がせわしなく働いていた。
日本のようにはっきり「処方薬」という物がないベトナムなので門中の薬局と病院は同じ経営母体だと思ったのだが、薬剤部の薬剤師ユンさんの話では病院とは関係のない組織とのことだった。


《薬剤部》

《敷地内にある外来用の薬局》

《薬剤師ユンさんと》


病院全体の印象として気になったのは異常な混雑だ。
紹介状を持って重症患者が運ばれてくる病院という割には、そうではない患者が目立つ。
この理由は「保険を使う場合」は紹介状が必要だが、逆を返せば「保険を使わない」自費診療では紹介状は不要なのだ。
そのため治療費が高額ではない軽度の症状の患者が飛び込みで受診している事も多いようだ。
ベトナムの保険制度による歪みを垣間見た気がした。
現在、混雑解消のためハノイから少し離れた場所に第二病院を建設中だが保険制度の見直しを同時に行わなければ根本的な解決にはならないだろう。


《外来診察室前の廊下の様子》


1時間半ほどで病院の見学を終え、次にハノイ リハビリテーションセンターへ向かった。
ハノイ リハビリテーションセンターは1970年に建てられたハノイ医療局の管轄病院であり、入院病床は150床。リハビリ施設としてはハノイ最大規模である。
リハビリテーションセンターの院長の案内で病院内の見学を行った。
入院患者はパーキンソンや下半身麻痺などの高齢者が多い。
また小児病棟もあり、脳性麻痺や障害を抱える小児のケアや教育も行っている。
しかし施設内は昼休みとの事もあってか患者がまばらで、作業療法室、理学療法室には患者は一人もいなかった。
前述した通り、ベトナムのリハビリテーション事情はまだまだと言える。
カンボジアの話になるが、北原グループがカンボジアプロジェクトを発足し、スタッフがカンボジアへ介入した当初は「リハビリ」という概念はなく、マッサージとリハビリの区別がつかない人がほとんどであった。
当初1時間2ドルでリハビリを行っていたが、それでも「マッサージに2ドルなんて高すぎる」と集まらなかったという。
しかし地道に活動を行い効果の実証と教育で、現在では40ドルでもリハビリを受けに来るという。リハビリという医療行為がカンボジアにて住民権を得た証拠だろう。
ベトドク病院がリハビリ部門で、ハノイ リハビリテーションセンターと組むのではなく、このような実績がある北原グループをカウンターパートに選ぶ理由が分かる気がした。


《ハノイ リハビリテーションセンター》


《処置室の様子》


リハビリテーションセンターを後にし、昼食の後、株式会社運営の有料老人ホームBachNienThienDucケアセンターへ向かった。
生活介護に加えて医療・看護の機能を併せもち、日本の介護施設では受け入れてもらえないような医療的処置が必要な状態の利用者も受け入れている。
まず驚いたのが、施設職員らの出迎えだ。大きな看板に始まり、伝統衣装を着た職員らが総出で出迎えてくれた。(日本語の誤字はご愛敬)


 《BachNienThienDucケアセンター》

《「北原国際病院へようこそ」という看板》


日本やフランスなど様々な老人ホームや介護施設を参考にしたという施設内は、まるでリゾート地のような作りで、ツアー参加者は口を揃えて「将来ここにお世話になりたい」と言うほどだ。
実際に入居者の表情も非常に穏やかで、いわゆる「施設に入らされた」というような悲観感が一切ここにはなかった。
また、私が一番感銘を受けたのは大きなプールなど子連れでも楽しめる設備があることだ。
これらは子供や孫が遊びにくる感覚で入居者に会いに来てもらうために作られたという。
日本の老人ホームではなかなかない設備ではないだろうか。
またこれは北原理事長から聞いた話だが、この老人ホームにはある日本人も入居しているという。
その方は認知症で日本に帰国できず、本来であれば日本大使館が対応すべき老人を無償で何年も世話をしていたという。
経営面だけで無く「ホスピタリティー」というものをきちんと理解した上でないとできない行動だろう。


《施設内の様子》


《施設内にあるプール》

事実、入居者は年々増えている。
と言っても最初はかなりの苦労もあったそうだ。
そもそもこのベトナムでは一緒に住んでいる子供が年老いた親の面倒をみるのが当たり前。「老人を施設に預けてしまうなんて」と否定的な声もまだまだ多い。
国民平均年齢が30代とまだまだ若者が多く、発展途上国というのもその理由の一つだろう。しかしめまぐるしい発展の裏で確実に高齢化が進んでおり既に高齢者の割合は10%超える。
また、今現在も交通事故や転落事故など若くして命を落とす若者も少なくない。保証制度がきちんと確立していないベトナムでこのような老人ホームは今後増えていく事は間違いないだろう。


見学を終え、ホテルへ。
ホテルのイベントルームでFutureRoomが開催された。
北原理事長から「あなたの仕事は『誰を』幸せにするか?」という内容でベトナムの現状を織り交ぜ、日本の医療、そして日本の未来について2時間ほどの特別講演を聞いた後、懇親会となった。
懇親会では様々な業種の話す機会があり、ベッドメーカー、空調メーカーの方と様々な観点から医療の話ができたのはとても良い刺激になった。


  《懇親会にて》①
《懇親会にて》②

10月31日

朝6時半。2泊3日の行程の齊藤社長らに見送られ、ハートフルグループでは私一人ツアーのバスに乗り込んだ。
4泊5日のツアーへの参加者は北原スタッフを除くと10人と初日の半分以下の人数になった。
バスの中で朝食を摂り、次の目的地であるラオカイ省へ向かった。
ラオカイ省はベトナムの北部に位置し、中国との国境付近である。
途中高速道路のパーキングエリアで休憩を挟み5時間ほどでラオカイ省に到着した。

  《サービスエリア》

昼食を摂った後、MinhDucカンパニーという建設会社を訪問した。


《MinhDucカンパニー》


MinhDucカンパニーは約20年間にわたってラオカイ地方の建設と開発に当たってきた建設会社である。
この社長、MinhDuc氏はベトドク病院の医師であるChinhドクターの姉であり、ベトナムで最も優秀な女性起業家に与えられる賞を5年連続で受賞している。
会議室で、MinhDucカンパニーの概要や今後の展望など聞いた。
今後はラオカイのインフラの更なる整備や農地開拓を視野に入れているようだが、プロジェクトの曖昧さが目立った。北原グループや日本企業に支援を要望していたが、何をどのように支援をすればよいか明確でないため北原理事長も苛立ちを覚えている様子であった。

《北原理事長とMinhDuc社長》


具体案がはっきりせず、釈然としないまま次の目的地、ラオカイ総合病院の視察へ向かった。


《ラオカイ総合病院》


ラオカイ総合病院は600床の省立病院で現病棟は韓国の援助により建設された物でCT、MRI等の検査機器を有する基幹病院である。国立バックマイ病院からの指導を受けつつ、ラオカイ省内の医療機関に対して技術指導を行っている。
リハビリ病棟を中心に病院内を見学した。
リハビリ施設でまず驚いたのが、処置室に当然のようにマッサージチェアが置いてあることだ。マッサージとリハビリの区別がついていない証拠である。
都市部から離れるとこの傾向は更に強くなるようだ。


予定より時間が押していることもあり、駆け足で見学を終え、ラオカイ人民委員会(県庁のようなもの)へ向かった。

《ラオカイ人民委員会》

《対談の様子》

《会議室にて》

ラオカイ人民委員会長よりラオカイ省の医療状況を中心に、今後の展望等の話があった。
ラオカイ省にも5つの総合病院、4つの専門病院、小さな病院やクリニック、合わせて200ほどあるが足りていない状況とのこと。都心部に比べて人材の確保が難しく育成の場としても不十分のようだ。先ほど視察したラオカイ総合病院でもその状況は垣間見えていた。ここでも北原グループへのリハビリ部門への支援の要望があった。
北原理事長の回答として、リハビリ部門のみを立て直すという事に関しては北原からリハビリスタッフを病院に派遣し、介入するのが一番早い。しかしリハビリ部門だけ良くなっても病院全体が良くなることにはならない。救急外来から看護師の教育、多方面からの改革を行わない限り根本的な解決にはならないため、今後設立予定の大学にラオカイ病院から、スタッフを送り、そこで教育を受けたスタッフが再び病院で勤務する事が最善かつ最速の方法とお答えになっていた。
またラオカイ省は医療面でなく産業として農地の有効活用とし薬草の栽培を視野に入れているようだ。こちらに関しては北原理事長も肯定的であった。
一時間ほどの会議を終え、懇親会となった。余談にはなるがベトナム人は乾杯を何度も何度もする。一人で飲むのはマナー違反で自分がお酒を飲む際には毎回注ぎに来て乾杯をする。40度近い酒を何回も飲み干した。元来あまり酒に強くない私なのでかなり酔った状態で、宿泊先であるBBホテルサパへ。
このホテルがあるラオカイ省サパ県は標高1600mに位置し、モン族やザオ族など少数民族が多く暮らしており、峡谷、棚田など美しい景観のため多くの観光客が訪れる地区である。もともとはフランス人が避暑地として開発した場所でどこか西洋のような雰囲気が漂う。いまではベトナム人にも人気の高原リゾートとなっている。標高が高いため、かなり気温が低く、多くの観光客はダウンジャケットを着用していた。
私は寒さと酔いのため散策もそこそこに切り上げて早めに床についた。


《懇親会の料理》


《BBホテルサパ》


《サパ県の様子》



11月1日

朝7時。昨夜のお酒は質が良い物だったためか、全く残ること無く目覚めた。
ホテルにて朝食をとり、いよいよ日本を出発前に理事長から話があったアドベンチャー&ミステリーツアーであるMinhDucカンパニーのファーム用地視察へ出発した。
バスにて現地近くまで行き、四駆の車に乗り換え、シートベルトをしなくては命に関わると言われていたのだが、私のシートベルトの先にはなぜか南京錠がしてありベルトをすることが叶わなかった。ドライバーは英語が通じず、シートベルトができないまま、空しくも車は出発してしまった。


《シートベルトの先についた南京錠》

覚悟を決めていたのだが特に険しい道も通る事無く車が停車した。
明らかに目的地の農場では無いため同乗者と顔を見合わせていると、農場がある地域のBaoHa村の人民委員会にまず寄ったということが分かった。
BaoHa村は主に観光業・農業中心に行っている。
観光業は有名な寺院の観光や少数民族の集落に泊まるツアーが人気のようだ。
農業としては水牛の飼育・蜂蜜の生産・薬草(現在は桂皮・鬱金・生姜が中心)の栽培等を行っている。
これら畜産物をベトナムだけでなく海外にも輸出できるような産業にしていきたいと話す。
昼食を交え、ここでもベトナム流の乾杯が続いた。同席したベトナム人の男性が勧めてくれた怪しいお酒を飲み、今度こそ目的地の農地へ向かった。
《どす黒い謎のお酒》

想像以上の過酷な道のりで、舗装させていない狭い山道をぐんぐん登っていく。もちろん私はシートベルトをしていない。
途中、橋も無い川を車で渡りきった時には社内で拍手が起こった。
雨が降ったらおそらく通れなかっただろう。
北原理事長はこの道を日が暮れた暗闇の中を通ったというのだから、その恐怖は言い表せるものではない。
腕の良いドライバーのおかげで、一時間あまりで無事ファーム用地に到着した。 農地と言うより渓谷といった印象だ。


《ファーム用地》


MinhDuc社長は北原理事長にこの農地をどのように開発すべきか質問をしていた。
昨日の会議に比べて、水牛はどうか、材木はどうかとかという具体的な内容が質問に上がった。
北原理事長の回答は材木も水牛も否定的であった。理由としてまず水牛は他国でのニーズが少なく輸出産業になるのは難しく、材木は搬送コストがかかりすぎるからとの事だった。
逆を言えば、他国にニーズがあり、搬送コストがかからない小さくて希少価値のある物であれば十分特産物になるとのこと。
つまり「薬草」だ。高地で栽培された薬草は品質が良く、比較的高値で取引される場合が多い。
しかし薬草は栽培が難しく日本で馴染みのある漢方薬の原料もその殆どが中国産であり、日本産はほぼゼロに等しいという。私の母校でもある東京薬科大学が敷地内に薬草園を設け、試験的に生薬を栽培していることもあり、このようなノウハウを活かし、ここベトナムで商業的な薬草栽培に成功すれば中国産に疑問を持つ人々が多い中、このプロジェクトはビックビジネスに繋がるだろう。
なんらかの形で我々ハートフルも関わることができないだろうか。そんな事を考えながらまた過酷な道のりを通り山の麓へ戻ってきた。
ここで予想外のトラブルが発生した。今度は乗ってきたバスが故障し、エアコンが効かないため蒸し風呂状態になっているとの事だった。
代わりのバスが途中までは来るとのことでそこまではなんとか故障したバスで向かうこととなった。そんな車中で一足先に帰国した大竹常務からメッセージが届いた。
「会長へのお土産がなんと。。。」

《お土産》①


《お土産》②


「空っぽ」と。
空港で買ったとの事だが、発展途上国の洗礼を受けたようだ。こう言っては失礼だとは思うがこのメッセージのお陰で暑い車中も乗り越えられた気がする。
中継地点に着くと50人近く乗れる大型のバスが待っていた。
先ほどとはうって変わり広々とした車内でハノイにある夕食会場まで向かう。
ところが一難去ってまた一難。
当初乗っていた小型バスでは通れる予定だった道が、大型バスの為通れず、夕食会場までかなり歩く事になった。
しかし夜景の綺麗な湖畔を歩く(時間が押していたので実際には走った)のは良い経験だった。
ツアー最後の夜ということでお洒落なガーデンテラスのレストランで打ち上げを行った。
北原理事長の話だけで無く、理事長の同級生である敬愛大学教授の藪内先生から中国の歴史や発展途上国が抱える問題、宗教から政治まで興味深い貴重なお話をして頂けたのは非常に為になった。
美味しい料理と自分のペースでお酒を飲めることに喜びを感じツアー最後の夜を終えた。

11月2日

ツアー最終日。最終視察予定地であるベトドク第2病院建設予定地へ向かった。
北原グループはカンボジアに続き、2017年よりベトナムへの事業展開を開始しており、6月には安倍首相・ベトナムの首相立ち会いの下、技術協力合意についての文書交換式を行い、ベトドク病院院長と契約を交わした。今回の合意には、このベトドク第2病院内に日本水準のサービスを提供するリハビリテーションセンター設立を検討する内容も含まれている。前述したが日本水準の教育のための大学の設立も視野に入っており、医療の構築と教育、医療をツールとした社会開発を行う拠点となるだろう。
しかし実際の建設予定地だが、開院まではまだまだ時間がかかりそうだ。
当初の予定では今年にはできる予定だったようだが、見る限りでは後数年はかかりそうだ。


《ベトドク第2病院建設地》①


《ベトドク第2病院建設地》②



思うように建設が進まない。これは発展途上国では当たり前のようだ。
建設予定地を後にし、ベトドク病院の医師Chinhドクターの計らいで、建設地区の人民委員会会長にお会いすることになった。
今後ベトドク第2病院を拠点としてお互い協力してしていくというトップ同士の対談を目の前で見られたのは感慨深いものがあった。

《対談の様子》


しかし最後の最後でまた問題が発生した。
昼食を用意してくれたのだ。
そもそもこの会合も予定には無く、当初の予定では既に空港に向かっている時間だ。
飛行機に時間があるからと丁重にお断りするも、相手も引かず、オンラインチェックインしておけば間に合うし、いざとなったら空港職員は知り合いだからなんとかするという。
ANAの運航を止める事はできるのだろうかと疑問と不安を抱えながら、結局昼食を摂ることになった。
ここに来て鍋。時間は無いがさすがに火をしっかり通さないと不安だ。


《肉》《鍋》

味わう暇もないまま食事を終え、空港へ。なんとか駆け込みで飛行機に間に合った。
最後は駆け足となったが5日間のツアーを終え無事に帰国する事ができた。
この5日間、様々な事を経験させて頂いた。
まだまだ発展途上のベトナム。医療だけで無く様々な面で遅れている。
しかしめまぐるしく発展しているのも事実である。ツアー1日目の北原理事長の言葉を思い出した。「ベトナム人は必要な仕事だけをやっている。日本では本当は必要のない仕事が多すぎる。」
薬局を例にあげると、確かにベトナムの薬局の体制としては日本に比べて不十分な環境だろう。しかしベトナム人は病気になるとまず薬局の薬剤師に相談をし、薬を購入する。もちろん日本で言う「薬学管理料」なども無い。いわゆる「保険点数」や「処方箋」というシステムに頼らない医薬分業が行われていると私は感じる。
また昨今日本で深刻な問題となっている高齢化。日本の老人ホームでは虐待のニュースなどを良く耳にする。見学させて頂いたベトナムの老人ホームのように入居達が穏やかな顔でいられる施設は日本にいくつあるのだろうか。
もちろんきちんとした医療を提供するには明確な制度が必要だ。
しかし今の日本では本来制度化する必要があるのか疑問が制度も多い。
すべての行為を点数化し、逆に点数にならない行為はしなくなる。
これは「本当の医療」のあるべき姿なのだろうか。
私は「医療」そして「仕事」と言う物の本質は元々凄くシンプルな行為だとこのツアーを通じ強く感じた。
一人の医療人、そして社会人として、まずは物事の本質を考え、今後の業務に携わっていきたい。
北原理事長を始めとする事務局の皆様、そして何よりこのような機会を与えてくださった根食社長に御礼の言葉を述べたい。本当に有り難うございました。